【蛙化現象】好意を持たれるのが苦手な現象に名前がついていた

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僕は自分に好意を向けられることものすごく苦手です。

同時に自分が相手に対して好意を持ち続けることも苦手。

 

お互いに利害のない第3者であれば普通のコミュニケーションが取れるんだけど、関係性が特別なものになったり、相手の目の焦点が自分に合ってしまった途端に電波障害みたくなってしまう。

これは向けられる好意が友情だろうが愛情だろうが関係なく。

 

実はこの現象には、「蛙化現象」という名前がついていました。

 

蛙化現象とは

蛙化現象とは、

  • 好きになったら冷める
  • 両想いになったら好きじゃなくってしまう

という現象のこと。

 

もしかしたら経験がある方もいるかもしれません。

 

「蛙化」という言葉の由来は、グリム童話『カエルの王様』にあります。

『カエルの王様』は、超ざっくり言うと、醜い姿のカエルを毛嫌いしていた王女が、カエルが本来の姿である王子に戻った途端恋に落ちるというお話。

 

蛙化現象では童話と逆で、好きになった相手がカエルだったことに気付く、つまりそれまであったはずの愛情や好意が冷めてしまうのです。

 

蛙化現象の原因

蛙化現象の原因は、あまりに低い自己肯定感だと言われています。

自己否定のあまり、こんな自分で好かれるはずないと思ってしまう。

こんな自分を好きになってくれる人間なんてどうせ大した人間じゃない、あるいはなにか裏があるのではないかと考えてしまう。

 

本当は相手のことを大事に思っていたとしても、自分で自分の感情が分からなくなり、誤解されてしまうことが多くなります。

どう振る舞えば、どうコミュニケーションをとればいいのかが分からなくなってしまうのです。

 

その結果、関係性の維持すらも困難になってしまう状態は、まさに電波障害という言葉がぴったりだと思います。

 

カエルの王様はだれか?

蛙化現象の定義を調べてみると、見た限りではすべてのサイトで、当事者が王女・相手がカエルの王様であり、「相手が本当は醜かったのだと思い込む」という記述の仕方でした。

 

ですが、正直僕は「当事者の方が醜いカエルの王様」なんじゃないかと思うんですよね。

なぜなら好きになったりなられたりして気付くのは、相手や好意への気持ち悪さというよりも、自分自身の醜さだから。

 

相手の視界に特別なものとして入ることで、あらためて自分が醜いカエルであったことに気付かされるわけです。

関係性のなかに自分を置かなければ、ひとりぼっちでいれば自分がカエルであることを忘れていられたのに。

 

蛙化現象の治療

蛙化現象は、病気というよりも誤った自己認知です。

治すには歪んだセルフイメージを正しく直して、自己肯定感を回復させるしかありません。

 

とはいうものの、僕もそうだけど自己肯定感の低い人間にとって自己肯定感を上げるのってとてつもなく苦しくて難しいことなんですよね。

自分はダメ、自分は劣っているっていう認知の仕方でずーっと生きてきてしまったから、それ以外の認知の仕方が分からない。

 

自己肯定感については他者サイト様に良記事があったのでそちらに論を譲ります。

【人生相談】自分を好きになれない!具体的な解決方法を教えて!

 

自己肯定感の回復の前に

自己肯定感の低い人は、全身全霊を懸けて自分には価値がないことを信じています。

それを価値転換させるのは人格が変わるくらい大変なことです。

 

だってそう簡単に自己肯定感が上げられたら人生が楽。

こんな苦労なんかしてません。

 

ただ、自己肯定感の低い自分を変えたいのであれば、すぐに変わることが難しかったとしても、自己肯定感の低さによって相手のことも軽んじているということには気づく必要があるかなあと思います。

自分が嫌いっていうのは、要は自分自身にしか矢印が向いていない状態で、目の前にいる相手のことをまったく見てはいません。

 

「自分のことも大事にできない人間が他人のことを大事にできるわけがない」って言葉は本当にその通りなんですよね。

 

そして今すぐに自己肯定感を上げることができなかった僕が、「今」辿り着いた一つの結論がこれでした。

 

まとめ

僕は好かれることも、相手を自分の視界に入れる結果を招くかもしれない好くという行為もとてもとても苦手です。

ただ生きていてほしい、死んでほしくはない人たちというのが何人かいます。

その人たちへの自分の感情すらも、僕は「好意」という言葉で表すことができませんでした。

 

そこで辿り着いた結論が、その人たちが幸せに生きていることを悟られないように一人で祈るというものだったんです。

 

言葉遊びのようだけど、最後の結論は僕と同じように感じている誰かにとっては、自己救済の意味合いを持つんじゃないかと思って記事を書きました。

 

変われない自分も変わりたくない自分も、まるごと抱えて死ぬまで生きていかないといけない。

だとするならば、自分を説き伏せながらでも少しずつ前に進んでいけばいいんだと思います。

 

いや、むしろ進まなくてもいい。

「死なないこと」を達成するだけでもう充分に偉い。

そうやって自分を甘やかして、それでも死なずに生きていける人が増えてくれたらうれしいです。

 

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B!

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