ラベリングは便利だけどつまんないから行動で僕を見てよ

スポンサーリンク

ブログの方は更新がだいぶお久しぶりになってしまいました。

礼司です!

 

つい先日すごくうれしかったことがあって、

 

なんでこんなにうれしかったのかな~と考えてみたら、僕に声を掛けてくれたその人がラベリングじゃなくて僕の行動によって僕を認識してくれたからだなというふうに思ったんですね。

 

ラベリングで世界は分断されていく

人間は、分からないものについてはとても不安に思う生き物です。

ラベリングという行為には、分からないことへの不安を解消するために、自分の知っている言葉に置き換えることでその人を自分の理解の範疇に置くという意味合いがあります。

 

言語や言葉によるラベリングは、ある意味ではそのための便利な道具なんですね。

ですが同時にそれは、「あなた」と「私」の違いを浮き彫りにする行為であり、世界をばらばらに切り分けてしまう行為です。

 

言葉によるラベリングは、便利ではあるけれど表層しかすくいとることができません。

 

みんな、テンプレートを作って傾向と対策を打ちたい。

この人はこういう人ね、というのを簡単に分かりたい。

なぜならその方が楽で、面倒くさくないから。

その人の内側に入り込もうとすれば、けがをするリスクがあるから。

 

ラベリングは「お前はここまで」の勝手な宣告

 

最近はXジェンダーも、ジェンダークィアも、ジェンダーレスも、クエスチョニングもどれも僕の気持ちにしっくり来なくて。

それはやっぱり、そういった表層的なラベリングが何も僕の内面を表現していないし、今後も一生変わり得ない「お前はここまで」を突き付けられているような気がするからなんです。

 

ラベルじゃなく行動によって

人間はラベリングしたりカテゴライズしたりということをやめられないのだとも思います。

それはおそらく、群れを作って生活してきた人間という生物にとって、「理解できる範疇の人だ」と思えることがそのまま安心につながるからです。

 

表層的なラベリングは一次的には必要な時もあるけれど、もしその人と深い関係になりたいと思うのであれば、虎穴になんたらじゃないですけどリスクを負う必要があるのではないでしょうか。

 

 

そして冒頭の話に戻るんですが、僕はラベリングの代わりに僕自身の「行動」によって評価されたいです。

 

LGBTだとかXジェンダーだとか男だとか女だとかフリーランスとかあとはなんだろう、無職とか?

そんなくだらない、表層的で何一つ説明できてなんかいないラベリングによって僕は判断されたくなんかないです。

その代わり、自身が成したことによってのみ僕という人間を評価されたいと思います。

 

だから僕自身が頑張ってきたこと=添い寝、によって認識してもらっていたと感じれらたこのとき、僕はものすごくうれしかったんです。

あ、やっと僕はラベル以外で評価されたんだ、と感じました。

 

僕が何者であるかの答え

僕には、つけようと思えばたくさんのラベリング、タグをつけることができます。

Xジェンダー、LGBT、ポリアモリー、セクシュアルマイノリティ、性同一性障害、GID・・・。

 

でも僕はそれらのラベリングやカテゴライズに全力で抗っていきたいです。

確かに、自分自身の性別違和を言語化できず苦しかったときには、Xジェンダーというラベルが必要でした。

でも今の僕には、もうその言葉はそんなに必要じゃなくなってきたのです。

ラベリングのかわりに、自分が何者であるのかは僕自身の行動や語る言葉によってはっきりと表明することがきます。

 

僕が何者であるか。

その答えは、僕が成したこと、行動したこと、語った言葉の中にしかありません。

僕はこれからも、動き続け言葉を書き続け、自分自身の定義を更新し続けていきたいと思っています。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA