【コミュ障だった僕が添い寝屋になる理由】僕はあなたの話が聞きたい。

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添い寝屋として、僕は何を目指すのか。

僕はずーっと、自分のことを人嫌いでコミュニケーションが苦手な人間だと思って生きてきました。

 

でもそうじゃなかったんです。

はるやけんちゃん、かいちゃん、ゆうわ。

大好きなRAINY PROJECTのメンバーと添い寝サービスを作って、キャストもやることが決まってからは話をするということを意識的にやるようになって、強くしていった思いがひとつあります。

 

それは、僕は誰かと話をするのが大好きなんだということです。

 

誰の中にも宝物がある。

僕が誰かと話をするときには、いつも「この人にはどんな宝物が隠されているんだろう」って、ワクワクしながら話すようにしています。

そうすると、自然に笑顔になって、相手に「明るい人だな」とか「話しやすそうだな」と思ってもらえるようです。

引用元:夕聖 元カリスマホストが教える時給100万円の会話術

 

ホストとしての王道を走った夕聖さんの言葉です。

ホスピタリティを提供するにあたって、とても素敵な姿勢だと思います。

 

目の前にいるその人は、とても素敵な宝物を持っている。

そんな風にして人と接すれば、その人のことを大切にできるし、どうすれば喜んでもらえるだろう?と思いながら最高のおもてなしを提供できるようになるでしょう。

ですが夕聖さんのことの言葉は、かつての僕であればまったく響くことはありませんでした。

 

コミュニケーションが怖い。

僕はずっと、コミュニケーションに対する苦手意識を抱えてきました。

中学校時代のいじめで人間不信になっていたのは事実です。

 

ただ中学を卒業してからも、コミュニケーションへの怖さは抜けませんでした。

失敗するイメージを頭において話すもんだから、案の定上手く話すことはできなくて、やっぱり僕はコミュニケーション能力が欠落しているんだということを事実として受け止めてしまう悪循環。

 

自分は人間嫌いなんだと思い込んでしまう方がよっぽど楽でした。

 

守ってたのは自分自身だけ

でも、コミュニケーションが苦手ってどういうことなんでしょう?

なにを持ってコミュニケーションが「上手い」とか「下手」だとか言うのでしょうか?

 

20年以上アホ程悩みきってきた今だから思うのですが、上手くいかないコミュニケーションにおいて、自分を邪魔するものはただ一つ。

それは、プライドです。

少なくとも僕にとってはそうでした。

 

コミュニケーションが怖くて堪らなかった僕が守っていたのは、失敗して笑われるかもしれない自分。

会話が上手くできなくて失笑されるかもしれない自分。

関わることで露呈するかもしれない、誰よりも醜くて、劣っている自分。

 

全部自分のこと。

自分しかいませんでした。

だから、僕の話はきっとつまらなかったと思います。

 

そんな僕を少しずつ変えたのは、意外にもコミュニケーションそのものでした。

 

「話を聞いてくれてありがとう」

僕は仕事を辞めてから、自分のセクシュアリティをオープンにしています。

そのせいか、誰かから悩みを相談されたり、深い話をすることが多くなっていきました。

 

そのあたりから、「もしかして僕は誰かと話をすることが好きなのかもしれない」ということを実感するようになっていきました。

そして、

「礼司に話してよかった」

「聞いてくれてありがとう」と感謝されるようにもなってきたのです。

 

REIJI
話をすることで誰かから感謝される?

それって僕にとっては、大げさじゃなく世界がひっくり返るくらい大きなことでした。

 

僕は人間嫌いのはずでした。

コミュニケーションが上手くできない僕のことなんて、誰もが笑っているし見下しているはずでした。

 

それが、どういうわけか苦手なはずのコミュニケーションを取ったことで人から感謝されたのです。

 

目の前にいるその人と向き合う

感謝をされた理由はひとつです。

それは、僕が自分のためではなく「目の前にいるあなた」のために会話をしたから

 

思い返してみると、話をしたことで感謝をされたのは、どれも1対1で真剣にその人の悩み事や困っていることを聞いてあげたときです。

 

そういうとき僕は、無意識でしたが自分のことなんて考えていません。

その人が今よりも幸せになればいいなと思って話をするし、悲しんでいることがあればとにかく一緒にいてそれを少しでも軽くしてあげたいと思います。

 

ただそれは慈善事業や偽善的な感情からやっていることではありません。

僕自身が死ぬほど苦しんできたし、悩んできたからこそ、目の前にいるその人がかつての自分と同じようなことで悩んでいれば、ものすごく共感を覚えます。

 

僕が救おうとしているのはかつての自分。

ここでもやはり僕の中で大きいのは「自分」という存在なのですが、違うのは、かつての自分自身というフィルターを通してはいても、目の前のその人を見ているという点です。

 

僕はあなたと話がしたい。

以前コウさんにコーチングをしてもらったとき、

コウさん

あなたのセーフティネットは、「傷ついている人を見捨てない」ことだね。

ということを言われました。

(関連記事:人生の方向性に悩んだら読むべき『目標達成の神業』 自己分析をコーチングしてもらった

 

そしてその言葉は、僕の中に不思議なほどすっと入ってきました。

僕は誰かの痛みを見ない振り・なかったことには絶対にしません。

なぜなら、苦しい思いも痛い思いもしてきたから、人の気持ちが分かるとまでは言えないけど、その痛さに共感することはできるからです。

 

そしてそんな風に「絶対に誰も見捨てない自分」でいることが僕自身のアイデンティティにもなっているのです。

 

 

添い寝サービスを始めるにあたって強く感じている「寄り添いたい」という思いも、実はとても自分本位なものかもしれません。

「これはかつての自分が使いたかったサービスだ」と思いながら、仲間と一緒に添い寝サービスを作っているからです。

 

でも、だからこそ寄り添える痛みがあると思っています。

 

あえてここでもう一度繰り返しますが、僕は人と話すことが好きです。

そしてその中でも、その人とじっくり話をしていく内にこんがらがってたものが少しずつほどけていって、本音というか本質というか、なにも繕わない素のその人が顔を出す瞬間が大好きです。

 

だから僕は、そんな素敵な瞬間にもっと沢山立ち会うために添い寝屋をやります。

どんなに重たい話・苦しい話でもいいので、匿名の掲示板に書き込むような気持ちで僕に教えてください。

 

 

 

僕に話を聞かせていただける方はこちら。

添い寝屋はじめます。

【添い寝サービスrainy】プレリリースを開始します!!

 

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