性別違和とは?性別違和があるという感覚を最大限分かりやすく説明してみる。

   

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こんにちは!Xジェンダー当事者の礼司です。

振り幅の大きいと言われるXジェンダーの中でも、僕は特に性別違和の感覚が強い方でした。

 

性別違和ってどんな感覚?と聞かれることが多いので、できる限り分かりやすく説明してみようと思います!

 

そもそも性別違和とは

性別違和の定義

僕たちは戸籍上の性別として、生まれたときに男性または女性の性別を割り当てられます。

 

でもその割り当てられた性別に対して違和感や嫌悪感を持つ人たちがいます。

そしてその違和感のことを性別違和と呼びます。

 

性別違和と性同一性障害の違い

性別違和と性同一性障害はおよそ近い意味合いを指していますが、制度上の改定で名前が変わってきました。

 

病気や障害の名前は、WHO(世界保健機構)がICD(国際疾病分類)というのを発表していて、それにより疾患名・障害名およびアルファベットと数字で構成される疾患コードが決定されます。

改定前のICD-10では性同一性障害(Gender Identity Disorder)という言葉が用いられていましたが、2018年6月の改定により、性同一性障害の名称は性別不合(Gender Incongruence)に変更されることが決定しました。

 

関連記事:【性同一性障害は精神障害から外れる!】ICD-11への改定でなにが変わるのか

 

性別不合(Gender Incongruence)の用語は今後有識者で適切な訳語を決定していく段階にあるので、この記事ではより浸透している性別違和 (gender dysphoria)という言葉を使っていきます。

 

本当の身体じゃない。性別違和の感覚とは?

性別違和は、「本当の性別の上に別の性別の身体を着せられている感じ」と表現されることがあります。

 

言うなれば、この身体は自分のものじゃないというパニックが日常的に存在している感じでしょうか。

 

「目が覚めたら・・・身体が縮んでしまっていた!!」©名探偵コナン

 

あるいは、

 

「入れ替わってる!?」©君の名は。

 

そんな感覚が常に存在する感じ。

 

 

青森の方言に「いずい」という言葉があります。

 

用法としては、ネクタイがきつくていずい。

目にゴミが入っていずい。

服のしわが当たっていずいとか。

なんとなく具合がわるい・しっくりこない・居心地が悪いというときに使われる言葉。

 

性別違和はまさに「いずい」なんです。

 

なんか気持ち悪いと思ってもぞもぞ動いてはみるんだけど、服のしわと違って身体は自分にくっついてるものだからいくら身動きしてみても向きを変えてみても、いずい感覚はなくなりません。

 

自分の身体が恥ずかしい

僕の場合は、この「いずい」に加えて、「自分の身体が恥ずかしい」という気持ちがありました。

自分は女性ではないという確信に近い思いがあって、それに対して女性的な特徴を持っている自分の身体が気持ち悪く、それが人の目にさらされていることが恥ずかしくてしょうがない。

 

お風呂で自分の身体を見るときはもうパニックですよね。

なんでこの身体なんだろう!?

こんなのは自分じゃない。自分の身体じゃない。

嫌だ。気持ち悪い。

 

自分の思考に理性の部分と感情の部分があるとしたら、

頭で冷静さを保ってるから外面的には別に大声だしたり騒いだりはしないけど(風呂のたびに毎回それやってたらヤバイ人です)、自分の心がめちゃくちゃに大混乱してパニックになって悲しいのを、理性側の自分はずーっとどうすることもできずに観察しているというか。

そういうのがもう何年も続いていましたね。

 

胸オペをしてその違和感の一番大きかった部分は解消されましたが、いまだに「自分の身体はこれじゃないのにな」という感覚を持つことがあります。

 

男でも女でもないという感覚。欲しい身体は。

それでも僕はこれ以上の治療、ホルモン治療や子宮卵巣摘出などをするつもりはありません。

治療自体のリスクももちろん高いのですが、それ以上に、僕の本当の性別は男性とも違うからです。

 

僕には自分が女性ではないという確信はあっても、自分が男性であるという確信がありません。

僕が選んだ胸オペも、「男性になる」ための治療ではなく、「女性ではなくなる」ための治療として選んだつもりです。

 

男性に近づくための治療は、僕の望むものとは違います。

多分、僕が本当に欲しい身体は、大多数が男性か女性かに二分化されているこの世界には存在しないように思います。

男性でも女性でもなくなるための治療というのは存在しないので、僕個人の感覚としてはこれ以上の治療の選択肢がないのです。

 

でもXジェンダーという言葉に出会ったことで、「女でも男でもいなくていいんだ」と思えたことは、僕の中で救いになりました。

 

自分の性別を他人が勝手に作った、男・女の枠組みに無理に当てはめようとすることよりも、自分自身がいかに楽に・居心地よく・納得して生きられるかということの方がはるかに大切なんですよね。

 

「正しい身体を持つ」はスタート地点

僕の場合は治療をするという選択をしましたが、性別違和は人によって本当にケースバイケースです。

治療をしなければ普通に生活することも困難なくらいの苦痛となる人もいれば、違和感はあっても治療までは必要としない人もいる。

性別違和の対象も、身体に違和感を持つ人、割り当てられた性役割に違和感を持つ人など様々。

 

性別違和についてどんな感覚を持つにしろ、どんな選択肢を取るにしろ、それぞれの感じ方がそれぞれに正しく尊重されるべきものです。

 

僕にとって「正しい身体を持つ」ことは、自分が納得して生きていくためのスタート地点でした。

そしてここからが、どんな人生を作っていくかの本当の勝負だと思っています!

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