小児愛者の告白からLGBTへの「理解」とアライを考える

小児性愛者へのインタビューからLGBTを考える

リンク先、全文はこちらです。

「子供に手は出さない」 若い小児性愛者の告白(BBC News)

 

長文につき要約は以下。

小児性愛者、アダムへのインタビュー

20代の青年アダム(仮名)は、ずっと自身の「小児性愛」に苦しんできた。

 

幼い子供に性的に惹かれる小児性愛は、精神疾患の一つに認定されている。

子供への性愛の感情を抱えながら、それを行動に移さずにいられる人は沢山いる。

小児性愛者だからといって、そのすべてが児童虐待者や犯罪者ではない。

 

小児性愛者には、子供との性的接触を「正しいこと」とする接触派と、それに反する反接触派がある。

アダムは後者だ。

子供への虐待については、アダムは「背筋を伸ばしてまっすぐ」座り、「それは絶対にしません」。

そして、「子供に危害を加えるくらいなら、その前に自殺する」 と。

 

オンラインのグループに出会い、友達に打ち明け、小児性愛と付き合っていこうとしている。

しかし母親の理解を得るのは難しく、また将来についても不安を感じている。

でもアダムは決意している。危害を加える側には決してならないと。

 

アダムが良心的な人なんだろうな、というのは記事の文面から伝わってきます。

ですが、彼の中の「普通でない部分」が、彼を世間への敵対者にしている。

 

小児性愛者というただ一点のために、アダムは自分自身を「世間に危害を加え得る危険人物」 という枠に置いて生きているのです。

何がキツイって、小児愛者である自分を、変えられないのに認めることもできないこと。

 

REIJI
そうか、セクシャルマイノリティってLGBTだけじゃないよな

と、襟を正される思いでした。

小児愛者でいるということ

小児性愛については、はらだ先生の「にいちゃん」を読んで感想を書いてますが、

[おすすめコミック]鬼才はらだの描くヤンデレ『にいちゃん』が凄い 未熟な僕らの間違った愛について

インタビュー記事を読み込んでいくと、アダムの苦しみははっきり言ってそんなもんじゃないですね。

 

アダムの苦悩、そして、小さな子供に感じる性愛の情は、たいていの場合、理解も肯定もしてもらえません。

彼の身近な人間を含め、大多数が彼を非難するでしょう。

 

だからこそ彼は閉じるしかないんです。

自己完結するしかないんです。

 

匿名で自分の性的指向について告白したしても、

「僕は小児愛者ですが、絶対に子供には近づきません」という、

自らを切り裂く刃物で、小児愛者である自分から世間を守るしかないんです。

 

子供や誰かを傷つけるつもりがあろうがなかろうが、

小児愛者というものに対する世間の敵意と、自分自身の正しくなさを思い知っているから。

小児愛者、アダムにとっての救いとは?

子供は、性愛を理解・判断する能力が未熟です。

彼らがアダムのことを好きだと言ってくれたからといって、それはアダムの望む愛を意味してはいないだろうし、

とすると、子供の「好き」を了承と取って性交渉に進めばそれは虐待行為になってしまいます。

 

アダムは子供が傷つくことを望んではいません。

彼の望みが、子供が自らの意思で彼と結ばれることだとするならば、

それはアダムが生きているうちには到底叶うことではないのです。

 

本当には幸せにはなれない。

というその孤独の痛みは計り知れません。

 

本当の意味での「理解」は難しい。

そして厳しい。

「理解する」なんて言葉は到底軽々しく口になんてできないし、口にしてはいけないとすら思います。

「理解」するのは難しい。それでもあなたが居ることを僕が知ってる。

アダムが言うように、また医学的に証明がされ始めているように、性自認や性的指向は、本人の意思の力ではどうにもならない部分です。

 

セクシャリティの悩みは目には見えません。

目には見えないからこそ、言わなければ、無かったことにできる。

言わなければ、波風は立たない。

 

そうやって自分をいないことにしてしまうマイノリティは沢山います。

だから、セクシャルマイノリティにとっての最初の救いというのは、

  • 存在していることを知って(認識して)もらえること
  • ありのまま感じることを「良し」と了承してもらえること

なんです。

Ally(味方)でいてくれてありがとう

 

セクシャリティは、本当に理解されづらく、自分でも自分自身を理解出来なかったり、説明がつかないことがたくさんあります。

ときには反論を許さないほど厳しい非難や攻撃や無理解をぶつけられます。

 

だからこそ、

  • そのままの自分が存在していることを「認識される場」
  • 打ち明けたいことを洗いざらい打ち明けられる「話す場」
  • それを「否定されない場」

が必要なんです。

 

REIJI

そっか。そうだったんだね。

そういうあなたが居ることを了承したよ。

僕はあなたの存在を認識したよ。

あなたの思いは、無かったことにしなくてもいいんだよ。

 

何回打ち消しても頭の中に浮かんでくる、自分が「そう」なのかもしれないという思い。

いや、違う。でもやっぱりそうだ。

 

そういう思考の過程を経てきた人にとって、

そのまま受け止めてもらえる場所が確かにあること。

自分が確かに存在していることを知ってくれる人がどこかにいること。

 

その意味合いは大きいです。

アダムにとっての真の意味での救いや理解が現実として叶わなくても、

 

彼や、セクシャリティの悩みを抱える人の孤独と痛みは、「話せる場」「否定されない場」があることによって、ほんの僅かかもしれないけど報われるんじゃないかな。

と期待したいです。

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