物が捨てられない人へ 生産者になりますか?物に所有されて一生終えますか?

   

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REIJI
断捨離しました。

なにを捨てたかというと、主には本!

多分1000冊くらいはあったんじゃないかなー。

捨てても捨てても本だった。

ちっちゃい本棚まるまると、ニトリのでっかい本棚の半分が空っぽになりました。

写真撮ってないけど元キッチン棚に死ぬほど突っ込んでた文庫本もゼロに。

 

断捨離して気づいたことは3つ。

  • 自分が何をどれだけを持っているか把握しきれていなかった
  • 持っていても日常的に使うものなんてほとんどなかった
  • 物持ちは単にスペースと探し物&掃除の時間の無駄

 

なんとなく手に取った漫画を読んじゃうとか無駄な時間がなくなったし、

掃除も楽になったしで良いことだらけです。

 

同じように物が捨てられずに悩んでいる人は考えてみてください。

あなたが所有している「物」は、本当にあなたの人生を豊かにしてくれていますか?

いらない物、必要のない物ばかり所有していないか?

簡単なチェックをしてみましょう。

  • ストレスを発散するために物を購入していないか?
  • 「不安だから」という理由で物をストックしていないか?
  • コレクションの完成度のために物を所有していないか?

1つでも当てはまる人は、「物」にとらわれていると言って良いでしょう。

かくいう僕も、今まですべて当てはまっていました。

 

不規則勤務&仕事中の緊張感、というストレスからコンビニでの散財、

頑張ってんだからこのぐらい良いか、というムダ買い。

本棚に同じ作家の漫画が1巻も欠けることなく美しく収まっているコレクション。

 

でも捨ててみてはじめてわかりました。

REIJI
どっちでもいいような物、なんとなくやる暇つぶしならないほうがマシ

物が多すぎるということは、それだけでもう膨大な時間を無駄にしているということなんですね。

 

物を持つということは、その「物」のために時間を消費するということです。

買った本は読まなきゃいけない。

買ったゲームはやらなきゃいけない。

DVDがあったら観なきゃいけない。

でもそうやって使った時間は、物がなければ他の何か有益なことに仕えたはずの時間です。

 

ここでもう一度聞きます。

あなたが所有している物は、本当にあなたの人生を豊かにしてくれていますか?

なぜ物が必要なのか

生きていくためには、確かに物は必要です。

そして必要な物とは、大きく2つにわけることができます。

 

ひとつは、「生活していくために必要な物」

もう一つは「暇をつぶすために必要な物」

生活していくために必要なもの

  • 着る物
  • 食べる物
  • 食べる物を調理する物
  • 身だしなみを整える物
  • 掃除用品
  • 収納する物
  • 仕事道具(僕の場合PC、液タブなどガジェット系、デスク)

暇をつぶすために必要なもの

  • 漫画
  • ゲーム
  • 音楽
  • DVD

 

 

このように見てみれば分かりますが、「暇をつぶすために必要な物」のすべては、生命維持のためには不要です。

でも僕たちは、それらがなくてはとても不安になります。

なぜなら、そういう暇つぶしがなければ

より強い刺激を求める僕たちの脳は、死ぬまでの長い退屈に耐えられるようにはできていないからです。

僕たちは、ただ呼吸をして、食べて、排泄して、生殖して死んでいくわけではありません。

趣味を楽しむ時間、遊ぶ時間、友達とくだらない話をする時間。

無駄のように思える時間だって、必要な時間です。

 

でも、考えてみなくてはいけません。

大好きな漫画を読んでいたとき。

ゲームをしていたとき。

ためになるビジネス書を読んでいたとき。

良質な映画を観ていたとき。

僕の人生は一歩でも前に進んでいたか?

 

答えは、NOです。

そしてその理由は、そのあいだ僕が何も生産していなかったからに他なりません。

同じ脳に与える刺激になら、手軽で何も生み出さない消費よりも、苦労しても人生を前に進める生産の方を選びたいもの。

消費者で一生を終えるか、生産者になるか?

消費は、快楽です。

質の高い消費は、確かに心を満たしてくれるかもしれません。

世の中には本当に価値ある作品、楽しい遊びがたくさんあります。

 

でもそれらに「所有されている」かぎり、消費する側であるかぎり、本当の意味で豊かに離れません。

 

会社からお金をもらって、その範囲内で身の丈に合った贅沢をたまにするくらいで十分

そんな風に、一生消費する側でいる、という人はそれでもいいでしょう。

 

でも僕は生産者になりたかった。

REIJI

誰かの人生の貴重な時間を消費させたらそれこそ「勝ち」で、「一流」で、それだけを目指さなくちゃいけないんじゃないだろうか?

そして、自ら生産したものにお金まで消費させたら、それではじめて「仕事」と言えるんじゃないだろうか?

そしてそれこそが、「ステージに立つ側」になるということなんじゃないだろうか?

自己発信しない人生に意味なんてない

2017.12.08

1日は限られている

当たり前だけど、1日はだれにも平等に24時間しかありません。

与えられた24時間の割り振りには、僕たちはもっと慎重になるべきです。

 

睡眠時間、食事時間、入浴の時間などは削れないとして、

それを除いたらどれだけの時間が残って、どれだけの時間生産活動に充てられますか?

消費しているあいだは生産することはできないし、当然ながら使った時間は返ってきません。

 

そして単純な話、成果と実力はかけた時間の長さに比例します。

毎日10時間の努力を続けた人間に5時間しか努力しなかった人間が勝てる道理はありません。

そして目指すものが自分が本当に好きなことなら、やっぱりそのぐらい死に物狂いになるべきです。

 

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