[おすすめコミック]鬼才はらだの描くヤンデレ『にいちゃん』が凄い 未熟な僕らの間違った愛について

   
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こんにちは!FtXブロガーのreiji(れいじ)です!

今日のお話は先日発売されたばかりのはらだ先生の新作『にいちゃん』について。

BLコミックですが、我慢できなくて感想書いちゃいます。

 

あ、盛大にネタバレしてるので、まだの方は原作読んでからカムバックプリーズ。

「にいちゃん」のあらすじ

小学生だったゆいは、ゲームを貸してくれたり、いろんなことを教えてくれる近所のにいちゃん(景)が大好きだった。けれどにいちゃんは小児愛者で、はじめてにいちゃんが性的な行為を要求した時、ゆいは怖くなって逃げた。それにより事が露呈し、ゆいはにいちゃんと引き離される。

けれどゆいは、にいちゃんのことが忘れられなかった。未遂で終わった行為。その先に何があったのかを知りたかった。そしてゆいは成長し、にいちゃんとの思わぬ再会を果たす。

しかし、にいちゃん、景はあの頃の優しいにいちゃんではなかった。ゆいが自分の前から逃げ出し裏切ったこと、小児愛者であることがばれ、親から受けた仕打ち。それらがにいちゃんを変えてしまっていた。そこから二人のアンバランスな関係が始まる。

一度逃げ出した罪の呵責により、支配と依存の危うい関係が続いたある日、友人のまいこの協力によりゆいは景の過去を知る。景はかつて子どもだった頃、まいこの父親に抱かれていた。そして捨てられたのだ。

ゆいは景を無理矢理に抱き、景が「誰かに愛されたかった」ことを証明しようとする。「いくらでも一緒に苦しんであげるからお願い俺の愛を認めてよお」と。

しかしゆいの願いに反して、景はゆいの前から姿を消す。「俺もう、普通に生きるよ。あらがうの、疲れちゃった」。ゆいは待つという選択をした。

 

最終的に二人は結ばれますが、それは周囲や世間に認めれられ祝福される愛ではありませんでした。

おれたちはまちがってない。まちがってない」と呟きながらゆいが歩いて行く壮絶なラストシーンで物語は幕を閉じます。

引用元:はらだ『にいちゃん』プランタン出版

普通ってなんですか

普通」って一体なんなんだろう。

普通」であるってどういうことなんだろう。

 

人間が集団である限り、そこには多数派と少数派が生まれます。

少数派は、その事例の少なさ故にまま理解されません。

 

知らないもの、見慣れないもの、今まで触れたことのないもの、分からないものは気持ち悪い。

分からないものは怖い。

 

今までも、現在も、沢山の法律やルールがセクシャリティの少数者たちを選別してきました。

日本では、青少年健全育成条例児童福祉法刑法などが大人による未成年(特に小児)への性愛を禁止しています。

同性愛については、日本国憲法のなかに婚姻の取り決めについて、「両性の合意に基づいて」との文言があります。

 

欧米ではペドフィリア(小児愛者)はそれだけで犯罪者扱いだし、

同性愛者だという理由だけで殺されてしまう国がいまだ世界にはたくさん存在します。

海外のLGBT事情まとめ 同性婚が認められている国 差別の根強い国

 

だけど、僕たちは「まちがって」るんだろうか?

 

普通であることが価値で、正しいのなら、きっと「にいちゃん」も「ゆい」も、Xジェンダーである僕も、

その「普通」が欲しかった。

だけど僕たちは、最初から「そう」だったし、「そう」であることと僕たちが僕たちであることとは、絶対に切り離すことは出来ないんです。

 

セクシャリティの少数者たちが迫害されるのは、セクシャルマイノリティという枠組みの中でしか彼らを見ていないからです。

 

僕たちは「小児愛者」、「レズビアン」、「ゲイ」という名前の生き物じゃない。

そんな名前の化け物じゃない。

 

僕たちは、その人が同性だったから、子どもだったから好きになるわけじゃない。

その人が、その人だったから好きになるだけのことなんです。

僕たちは「間違ってない」

最終的に「普通」であることでも、家族の望むことでもなく、景という一人の人間を選んだゆいが、

まちがってない」。そう自分に言い聞かせなくてはならなかったのは何故か。

まちがってない」のに、親に家族に欺瞞と演技を続けなくてはならないのは何故か。

 

それは、自分たちに向けられる否定・非難が、反論を聞き入れない暴論だということをよく知っているからではないでしょうか。

 

僕たちを非難する人は、論理的な理由があって非難しているのではありません。

ただ、嫌なのです。

自分の息子が、娘が、「小児愛者」という化け物、「レズビアン」と言う化け物、「ゲイ」という化け物に変わってしまうことが。

自分の子供が変態であっては困るのです。

 

子どもは確かに経験と知識は少ないから、場合に応じて大人が判断してあげなければならないときがあるかもしれない。

でもそれは、子どもが愛を理解できないということとは違います。

 

だから、景とゆいが間違ってしまったことというのは、単にやり方と時期(タイミング)のミスであって、「子どもと大人が愛し合おうとしたこと」ではない。

確かに互いを求めたことが、間違いであっていい筈がない、と僕は信じたいのです。

 

セクシャルマイノリティという枠組みだけで判断するのは止めてください。

その人を見てください。

対話をしてください。

そうすれば、こんな悲しい誤解はきっと少なくなると思うんです。

あくまで「そのひと」と対話をする

NHKの番組、ハートネットTVのLGBT関連回で、タレントのマツコ・デラックスさんはこう発言しています。

「石投げられたらこっちも投げ返してやればいいだけで、指さされて笑われようが何をされようが、そんなの関係ないじゃないですか」

引用元;NHKハートネットTV シリーズ多様な”性”と生きている 第4回「マツコ・デラックス ”生きる”を語る」

 

理解しなくてもいいから、私が私たちがいることを、存在してもいいんだということを認めろよ」と。

僕たちが訴えたいのも、たったそれだけのこと。

 

子どもが好きなこと。

同性が好きなこと。

男になりたいこと、女になりたいこと。

 

それらは、確かに僕たちにとって重要な一部ではあるかもしれないけど、決してすべてではありません。

それらは、僕という人間の一要素でしかない。

 

僕たちは時に、景のように間違えてしまうけれど、それは、「普通」に属している人たちだって同じことです。

だから、僕たちが間違ってしまったら、

間違っていなくても、もしも理解できないと思ったら、それがあなたにとって大切なひとであるならなおさら、僕たちと対話をしてください。

 

小児愛者という化け物、同性愛者という化け物としてではなく、

あなたの大切な子どもと、友人と話をしてください。

まとめ

最終的にまったく感想ではなくなりましたが、以上『にいちゃん』のレビューです。

 

まーすごい作家になっちゃったなぁという感じですが、はらだ先生。

最初は銀魂の二次創作とかやってたんですよね。

ギャグセンとかはその辺にルーツがあるように思います。

 

最初の頃のアホエロとがゲスい感じも大好きですけど、

ネガ』、『やたもも』のあたりから輪郭を現しはじめた先生の描きたいものが、今作『にいちゃん』をもってしっかりと足場を固めたのではないでしょうか。

今後の作品がとても楽しみな作家さんのひとりです。

未読の方は他作もぜひ。

 

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reiji(れいじ)

長野県に住む24歳FtXブロガー。
生きづらい日々を生きやすく、つまらない人生を楽しくするためのノウハウを展開中。
映画、漫画、SF小説が大好き。

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