コミュ障であることを恥じるな! コミュ障の僕がコミュ障に贈るエール  

   
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コミュ障とは

コミュ障(こみゅしょう)とは、コミュニケーション障害の略である。実際に定義される障害としてのコミュニケーション障害とは大きく異なり、他人との他愛もない雑談が非常に苦痛であったり、とても苦手な人のことを指して言われる。

引用元:コミュ障とは (コミュショウとは) [単語記事] – ニコニコ大百科

 

僕は空気が読めない。

そして人に合わせることが極端に苦手です。

 

飲み会に出てもどうやって誰と話せばいいのか分からないし、ちっとも楽しくない。

ごはんは一人で食べたほうがよっぽどいい。

何気ない会話でさえテンパり、だらだらと嫌な汗が流れ、自分が何を喋っているのか分からなくなることがよくある。

 

コミュ障である、という自覚があります。

 

しかし僕は、そんなコミュ障な自分のことを嫌ってはいません。

嫌わずにいられるのは、ほんの些細な考え方のコツを知っているからです。

 

今日は、僕と同じくコミュ障で、自分のことを嫌いになってしまいそうな君に、心を楽にする考え方を伝えたいと思います。

なぜコミュ障になるのか

本題に入る前に、なぜコミュ障になってしまうのかについて考えてみましょう。

コミュ障には二通りのベクトルがあります。

 

ひとつは、人前では緊張して上がってしまう人たち

もうひとつは、そもそも他人と行動することが苦手な人たちです

1.緊張してしまう

この人たちが上手く話したり行動したりできないのは、緊張のためです。

多くの場合身の丈に合わない自分を演じようとしてコミュニケーションに失敗しています。

 

2.そもそも他人と行動することが苦手

他人と行動することが苦手。

あるいは他人のリアクションとそこに込められた感情の意味を汲み取ることが上手くない。

 

他人と行動することは性に合わないからしない、という場合にはコミュニケーション「障害」にはならないのですが、

「ぼっちはさみしい」とか「友達がいないのはダメなやつ」とかの間違った価値観が通底しており、

集団行動を基本とする社会(学校や会社など)では、ある程度のコミュニケーション能力が要求されることから、

他人と行動するより一人でいたい、という至極まっとうな価値観が「コミュ障」として発現することになるのです。

 

この人たちは、自分が何か言ったり行動したりしたことで生じる他人のリアクションの意味を想像することが苦手です。

そして、分からないから想像しまくります。

 

自分の言ったこと、行動したことがあの人を怒らせてしまったのではないか

傷つけてしまったのではないか

失望させてしまったのではないか

それによりなにか恐ろしい仕返しをされるのではないか

 

ほとんど妄想と言ってもいいような思い込みですが、実際に誰かが自分の陰口を言っているのを聞いた、自分の発言をからかわれたとしたとしたらどうでしょう。

もはや妄想は真実として、その人の中に強化され刷り込まれていきます。

 

これらベクトルが片一方だけだったり複雑に絡まったり併発していたりすることで、コミュ障は生じるのです。

疎通性の悪さ

精神看護の領域で、「疎通性の悪さ」と言う言葉があります。

 

統合失調症や認知症のために自我の境界があいまいな病期(疾患における特定のステージ、時期)にあり、うまくコミュニケーションが図れない場合などに用いる語です。

この疎通性の悪さという言葉には、コミュ障と言う言葉に含まれるほどの悪意や揶揄の意思はありません。

 

コミュ障」という言葉が時にその人自身まで否定しかねないような嫌な響きを持っているのに対し、

疎通性の悪さ」は、例えば細いパイプでは水の通りが悪いように、「今この人の持っている(コミュニケーションのための)パイプは細い」という程度の意味しかありません。

 

医学的診断がつかないにしても、コミュニケーションが苦手な人も、この「細いパイプ」を持っているのでしょう。

コミュ障な僕たちは、コミュニケーションが得意な人間が話し行動するようには話したり行動することができません。

 

でもそれは、生まれる時に与えられたパイプが、コミュニケーションが得意なひとでは太く、苦手な人では細い、というただ与えられたデフォルトの仕様の話に過ぎない。

 

世の中には背が低い人も高い人もいれば、痩せている人も太っている人もいる。

右利きがいれば左利きもいる。

走るのが早い人も勉強が得意な人もその逆の人もいる。

 

コミュニケーションの得意不得意も、それらと同じ次元の話で、

それ自体で良いとか悪いとかの判断を付けられるものではなく、状態としてただそこにあるというだけのものです。

 

だから、思うように会話が弾まなかったとか、自分の言動で怪訝な顔をされたとか、そういうことでいちいち落ち込む必要はまったくナシ。

それは、疎通性の悪さという「持って生まれたもの(仕様)」による、ある意味必然的な結果に過ぎないのですから。

コミュニケーションが苦手なのも「持って生まれたもの」という考え方

持って生まれたもの」は、その人の本質そのものではありません。

確かにその人と切り離せないものではあるのですが、その人の所有物、あるいは付属物であるという認識が適当でしょう。

 

「持って生まれたもの」の持つ価値は、

  1. 「持って生まれたもの」はある程度の変容の可能性を持っている(本質の変容)
  2. 「持って生まれたもの」に対して自己や他者が感じる感情や価値は多様である(主観者による価値の変動)

と言う二点において非常に流動的です。

 

背が低いという「持って生まれたもの」は、一面的に見れば劣等になるかもしれません。

しかしソールの高い靴を履くこともできるし(=本質の変容)、

ある人にとっては劣等でも、別の人にとっては小さくてかわいいという価値になります(主観者によるに価値の変動)。

 

コミュニケーションが苦手なら、苦手だから人と関わらず一人でできる仕事をするのも、少しでも多くの人と話せるようになるように外へ出掛けて行くのも、気の合う数人とだけ深い付き合いをするのも、そのすべては絶対的に正しい。

 

飲み会壁の花だったからってボッチ飯だってヲタコミュだってオールオッケー無問題。

いたくもない自分の居場所だったらソッコー逃げ出してOK。

自ら本当にいるべき居場所を開拓していくことで、コミュ障は本当の意味でただの仕様になっていきます。

まとめ

コミュ障であることも含め、あなたが持っている劣等感のほとんどは、「持って生まれたもの」という極めて流動的ないち仕様に過ぎません。

 

劣等感と付き合う時に大切なのは、

  • それが変えることの出来ない劣等ではなくただの仕様であり、仕様それ自体は善でも悪でもないことを知ること

そして

  • むやみに落ち込まず、自分自身がどうありたいのか、どう生きたいのか、と言うことと照らし合わせて、環境を変えるのか自分自身を変革していくのか、とにかく行動してみるということ
  • 自分自身の価値観(一体何が自分にとって心地よいのか)と言う感覚を育てていくこと

です。

 

絶対にコミュ障であることを恥じるな!

それより自分が自分であることに誇りを持って生きていきましょう。

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reiji(れいじ)

長野県に住む24歳FtXブロガー。
生きづらい日々を生きやすく、つまらない人生を楽しくするためのノウハウを展開中。
映画、漫画、SF小説が大好き。

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