尾崎豊の最期の言葉「勝てるかな・・・」から考える戦う人生の分岐点

   
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こんにちは!FtXブロガーのreiji(れいじ)です!

 

尾崎豊が大好きです。

彼の曲はもちろん、彼の生きざま、イズムに至るまで、尊敬してやまないアーティストの一人です。

彼は生涯、自分が自分であること、そしてそれを侵そうとする社会の悪意や大人の汚さとずっと戦い続けていました。

尾崎豊とは

尾崎豊は、26歳の若さで夭逝したシンガーソングライターです。

彼の名前を知らなくても、彼の曲を聴いたことがないという人は日本人ではほとんどいないのではないでしょうか。

僕が僕であるために」、「I LOVE YOU」、「Forget  me not」など、Mr. children、宇多田ヒカル、清水翔太といった有名アーティストもカバーを発表しています。

 

音楽性の高さも素晴らしいものがありますが、なにかと伝説的な話題の多い人物でもあります。

略歴を見てみましょう。

 

1983年 デビューアルバム『17歳の地図』、シングル『15の夜』を発表。

1984年 中退した高校の卒業式当日に新宿ルイードでデビューライブを行う。

同年8月 ライブイベント「アトミック・カフェ」でのライブ中、7メートルの高さの照明から飛び降り左足を骨折

1985年 アルバム『回帰線』、『壊れた扉から』を発表。

1986年 「俺の歌なんだから歌うな」と言ってステージを降り、無期限の活動休止へ。

その後単身渡米、ニューヨークへ。

1987年 帰国後、開始したライブツアーが、本人がライブ前に倒れたことでとん挫。

同年12月 覚せい剤取締法違反で逮捕。

1988年 懲役1年6か月、執行猶予3年の判決を受け釈放。

同年5月 一般女性と結婚。

同年9月 アルバム『街路樹』を発表。

1989年 長男誕生。

1990年 アルバム『誕生』を発表。

1992年4月25日 急死。享年26歳。

参考:『KAWADE夢ムック 文藝別冊 尾崎豊』(河出書房新社)、『未成年のまんまで -尾崎豊ストーリー』著.落合昇平(新潮社)

 

公的な死因は肺水腫とされていますが、肺水腫は内臓の機能不全に起因しますから、覚せい剤やアルコールの多量摂取が体をぼろぼろにしていたことと無関係ではないでしょう。

 

そんな尾崎が死の間際に残した言葉は、

「勝てるかな・・・」

でした。

 

彼の代表曲の一つ、『僕が僕であるために』のなかにも、「勝ち続けなくちゃならない」という言葉が出てきます。

彼はいったい何と戦っていたのでしょう?

戦う人生

人生においては、戦う人戦わない人がいます。

言い換えるならば、マイノリティとマジョリティ、

「人間失格」者と人間、

人間で在(あ)りたくて苦しむ人と苦労せずに人間で在れる人。

 

戦う人は、生きているというそれだけでは人間で在れなかった人たちです。

生きているというそれだけでは、マジョリティの価値観に沿うことができなかった人たちです。

 

彼らはアダルトチルドレンとか、コミュ障とか、境界性人格障害とか、空気が読めない人とか、人間嫌いとか、とにかくいろんな呼び名で呼ばれます。

 

彼らの戦いの方法は、

  • 人間で在ろうとして戦う =人間は憧れ
  • 『人間失格』者として、人間自体と戦う  =人間は敵

というふたつに大別されますが、尾崎はおそらく前者でした。

 

 

人間で在りたかったから、誰かに愛してもらわなくてはならなかった。

 

人間で在りたかったから、戦い続けるという唯一無二のアイデンティティを確立しなければならなかった。

人間で在りたかったから、他のどこにもいない掛けがえのない自分でなくてはならなかった。

 

その人生はあまりに破滅的でした。

そして、破滅的ゆえに美しい人生でした。

 

美しさの理由は、破滅的な人生がつまりは閃光のように命を燃やす生き方だからです。

本人はのた打ち回って苦しみ、正気と狂気の狭間をさまよっていたのだとしても、それは欺瞞していない人生だからです。

自分にも他人にも、決して嘘をつくことを許さない人生だからです。

 

でもどんなに美しかったとしても、破滅的な人生の先には破滅しかありません。

僕たちの生きる道

人間で在りたくて苦しむ人は、その時点でもう戻れない道に足を踏み進めているのだと思います。

 

だからその先の分岐は、尾崎のように破滅する道と、

人間として生きていくことに見切りをつけて、適度な距離を保ち時に迎合しながら生きていく道の二つしかありません。

 

中庸という概念があります。

0か100か思考など、両極端なことを否定し、行き過ぎや不足でなく中途半端を選ぶのが最善であるという考え方です。

 

戦い続けて、自分にも他人にも欺瞞を許さない人生は確かに崇高であり美しい理想です。

でもその道ではきっと、いつか自分を殺してしまう。

それが破滅ということです。

 

僕たちが一度しかない人生を生きて、その短い時間の少しでも多くを幸せに過ごしたいのならば、理想のために命までかけるべきではありません。

 

その欺瞞を、「最上善」を説いたカントはきっと許さないはずです。

ですが僕は、いつか死んでしまう(そしてきっと死の先には何もない)人生において、最優先すべきは他者でも崇高な理想でもなく、たった一人の自分の幸せである といいたいのです。

 

欺瞞上等。

利己的に中途半端を目指しましょう。

 

人は一人じゃ生きてけませんが、人に頼らず生きていくことは可能です。

人づきあいが苦手なら、会社を辞めたって、友達が一人もいなくたって、家族を作らなくたって生きていけます。

そしてそれは、自分が望んだことならちっとも不幸なことなんかじゃないのです。

 

人間を捨て切ることじゃなく、

100%人間を好きになることじゃなく、

その「中庸」にこそ、僕らの生きる道はあるように思います。

 

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reiji(れいじ)

長野県に住む24歳FtXブロガー。
生きづらい日々を生きやすく、つまらない人生を楽しくするためのノウハウを展開中。
映画、漫画、SF小説が大好き。

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